日にちをまたぎました。

ベッドの中で夜更かしです。たまには良いものです。

大人は眠くなるまで寝なくてもいいのです。

夜中にごっそり毒を吐きたいと思います。

自分の経験を誇る人がいます。

私は人よりたくさんの経験を積んでいる。

自分で経験したことしか信じない。

良いか悪いか判断するために自分で経験する。

たくさん失敗してきたんだ!

そして数々の成功体験があるんだ!

などなど、ポジティブな雰囲気でこのようなフレーズを語る人がいます。本人としては自分の経験を元に何かの価値観や信念を構築し、それを柱として物事を成していくことが最良の方法であるといいたげです。そして、それにはかなりの汎用性や信憑性があるとも言いたげです。

果たしてそうでしょうか?

そんなに一個人の経験が貴重でしょうか?

その人以外にも当てはまる可能性があるのでしょうか?

それはどんな理論に基いているのですか?

あなた、何年生きたのですか?

いま人類が誕生して何年目だと思ってます?

地球上には何人の人が生存していて、何パターンの生活様式、嗜好、価値観があるのでしょう?

膨大な数の分母に対する分子が、たった小さな1のあなたです。

自分の経験がいかに圧倒的に小さく、相対するには頼りなく、物事に対するインパクトが弱いかお分かりになりますか?

自分の経験を過大評価してはいけません。

未来に投影しすぎてはいけません。

自分の経験を繰り返すことだけをしていたら、物事は変化していきませんし、発展も革新も進化もないでしょう。

自分の経験を売りにする類の人から学ぶことは非常に少ないです。

過去にエビデンスを求めたいなら、歴史を勉強することです。その分野について何十年も読まれ続けている書籍を読むことです。アカデミックに解説され、ある程度長い期間採用され続けている理論や学問を学びましょう。

小さな短い経験ではなく、長い太い真実を学ぼうとすることです。

自分の経験に固執する人や、それを武器にしたがる人は謙虚な心を忘れているので、上記のようなことを学ぼうともしないのでしょう。もしくは、ひとたび学んでしまったら自分の経験がどんなに小さく頼りないものかを知る羽目になるので、避けてたいのかもしれません。そもそも、一個人の経験が小さく頼りないものかは、万人に一致することですので精神的ダメージを負う必要はないと思うのですが。そんなことも分からないのでしょう。

もちろん、経験は大切です。

アップデートをベースに考えてはじめて、未来を見出す力を発揮します。

他者や他の環境下での汎用性を疑う謙虚さをもってはじめて、他への影響力を持ちます。それは、その経験がそのまま繰り返えされることではありません。そういったことめあるのでしょうが、それは稀なケースでしょう。

最も浅はかなフレーズは、

僕は自分の経験したことしか信じない!

自分の体験したことが全てだ!

でしょう。

歳を重ねた方が発言しているとゾッとします。

私はできる限りフェアで客観的でありたい欲が強いので、読書や勉強は生きることのひとつです。多くの先人や歴史から学び、事実を見たいのです。たくさんの知恵と経験をお借りしたいのです。この世界は広すぎるから。自分の愛する物事だけでさえも、全てを知るには時間が足りないと感じるから。助けが欲しいと切にならずにはいられないのです。