少子化対策と声高にする人達に言いたいこと

2019年の日本の合計特殊出産数は、1.36と1899年の調査開始以降、過去最少だそう。

以下、記事の転載。

2019年の出生数は、1899年の調査開始以来もっとも少ない86万5,234人。前年の91万8,400人から5万3,166人減り、4年連続で減少している。

 出生数を母の年齢(5歳階級)別にみても、すべての年齢階級において前年より減少。母の年齢が40歳以上の出生数は5万840人で、このうち第1子は1万8,378人。40歳以上の出生に占める第1子の割合は36.1%であった。第1子出生時の母の平均年齢は5年連続で30.7歳。

 合計特殊出生率は1.36で、前年の1.42から0.06ポイント低下した。母の年齢(5歳階級)別にみると、すべての年齢階級で低下し、もっとも合計特殊出生率が高いのは30~34歳であった。

https://resemom.jp/article/2020/06/08/56620.html

いつも思うことなのだが、少子化対策をしろ、子供を作って育てている家庭には税負担を軽くしろ、現金を支給しろ、不妊治療を保険適用にしろ、etc。

これらを若い世代、20代〜30代前半の人が真剣に訴えているのを見かけたことがない。

まぁ、あくまで私がね。

少子化対策を求めているのは、既に産んだ人達、家庭なのだ。女性も男性も30半ばも過ぎれば、妊娠確率が下がるのが一般的なのか、出産を迎えるには肉体的に厳しくなっていても不妊治療とやらで頑張っているらしい。

不妊治療はなかなか高額で、着床にたどり着くまで100万単位のお金が動くらしい。

決して安くはない金額と、おそらく膨大なエネルギーと、多くの時間を懸けて取り組んでいるのだろう。

何にも知らない私でさえ、なんだかしんどそうだなぁと感じるその一連の行為を何が支えているのだろう。

お金と時間の使い道、ゆうなれば、かけがえのない自分の命の使い道を選べる自由な日本において、あえてそれを選ぶのは何故か。

おそらく、欲だろう。

どういった欲かは分からない。

純粋に子供が好きなのかもしれない、我が子に出会いたい欲、出産をしてみたい欲、育みたい欲。

こんな欲ならいいのかもしれない。

出産、子育てが人生の形のデフォとなっている今日においては、社会的な承認を受けたい欲、形にはまりたい欲、成果物を得たい欲、かもしれない。

なんでもいいが、つまるところ、個人的な欲を満たすためにやっている行為なのだ。

私は、どうして個人的な欲を満たすための行為に、公的な助成が必要なのか、と問いたい。

既に、そんな大枚をはたいて不妊治療を行なっているのだ。経済力がないほど弱い存在だとは言わせない。

お金がないから産みたくても産めないとは言わせない。

出産、子育てだけでなく、人は本当にやりたいことがあるとき、お金も時間もなくても、どうにかしてやってしまう。それをやることが、生きることだと潜在的に知っているから。

お金がないなら、産まなくてよろしい。

やる気がないなら、やらなくてよろしい。

少子化対策は、子供付きの幸せな家庭をもつためのツールではない。目的は日本の労働人口の確保、社会保険料の支払い手の確保、GDPの向上、そう、経済対策なのだ。だから、これらが、他の手段によっても達成できそうであればそれで良いのだ。

私は、自分の欲によって子をなした人達、子をなしたい人達が、政府に(日本国民に)タカる姿勢が許せない。

なんて依存心が強く、無礼で、卑しいのだろう、と思う。

あなた方の依存心や卑しさを許すことが、日本に長期な利益をもたらすか?答えは否だ。

少子化対策先進国としてフランスがよく例に挙げられるぎ、フランスにおいても一時出生数が上がったが、近年は減少が続いている。

どうやら、先進国の人間は経済的に楽ちんなら、出産・子育てをするわけではないらしい。

やりたかったら、やるだけじゃない?

そして、先進国においてはやりたい人が減っていますよってこと。それはきっと対策の効果が及ぶ領域ではないのだろう。そもそも、きっと原因なんて突き止められない。ずーっと後に時代や自然の摂理と無理やり原因つけるしかないのだ。

それに、全世界規模でみれば人口は決して減少していない。むしろ増加している。この事実を受け止め、来たるべく新しい世界観を見出し、適切に対応すべきじゃないか?それは、純血の日本人のいなくなっていく世界かもしれないし、経済規模が今より小さくなった世界かもしれない。それに本当にポジティブな面がないのか?そうなっても達成できることは?そういう世界だからこそ高まるパフォーマンスとは?

一部の卑しい国民の期待に応えんとすることも政治活動なのかもしれないが、和して同せず。わたしはそういう世界を頭の片隅で描いているし、きっとそういう人達は少なからずいて、今も淡々と水面化で事を進めているのだと思う。