朝の9時です。

最近昼近くまで寝ていることがなくなった気がする。

動物と生きていくには、体力も非常に大切。

暴飲暴食をせず、まったく食べないことも避けて、きちんと身体に栄養を与えて、夜は早めに就寝して、体力をチャージさせて1日を迎える。

ここ数日、馬分野の悶々が続く。理由はわかっている。

上達を感じないからだ。やろうと思ったことをやれていないからだ。自分と今の状況にフラストレーションを抱くからである。上達を感じないのは正直辛い。人間は物事が良くなっている実感を受けて、自分で自分に納得したり、進んでいる道が合っているかの確認をしていると、私は思っている。

物事の適度なスピードと角度での上昇は、心身に健康をもたらすのだ。

物事をより良くしようと意図し、継続し、自分なりに創意工夫をしているにもかかわらず、全く良くなっていないと感じたら生きる意味を見失ってしまうだろう。

それでは生きている甲斐がない。

まったく、わざわざ生きている甲斐がない。

このような状態であるときに、私は以下の事を把握したいと感じる。

1 この物事における適当な創意工夫の行動は何か。

2 自分はそれをしているか。

3 自分が意図している物事の上達にかかる時間の目安と成就しない可能性について。

ざっと見渡してみて、これらを把握することができれば安心して物事に取り組むことができる。

安心して、長期間に渡り物事に取り組むには、創意工夫の行動は行うに非常に易しく、出来ない事(上手に出来ないではなく、行為自体を行えない)は避けるべきてある。

物事は簡単なほど良い。

長期に渡るルーティンのひと時として、楽しみや刺激を加えるために、敢えて難しいことをやるのだ。

3は自分の許容範囲を広げ、意図しない状況をストレスなくやり過ごしたり、上達という意図以外の別の意図の可能性を見出すために必要だ。

往々にして、物事の上達には時間がかかるようである。株式投資においては、株式の平均リターンは15年で平均方向へ回帰する。ストック、あるいはストックによるフローの上昇を必ず、確実、といったものにするならば15年は最低限でも必要になるのだ。その15年の間には、暴落や、バブル、緩やかな上昇相場、ある期間続く下落相場がある。そのひと時のみを切り取って見てみたら、すごく上昇している、すごく下降している、たいして上昇していない、ちょっとづつだけど上昇している、だんだん悪くなっている、と極端な感想を抱くのだろう。

だが、15年経過した時点では、その間にどんな瞬間があろうとも同じ結果になる。7%の運用益。

株式投資と他の物事に、どれほど共通項があるのか分からないが、少なからずある気がしている。調べたいことだ。さらに、共通項が多いと非常に助かる。何故なら、私は株式投資の上達のプロセスを知り、理解し、感情的にも納得しているからだ。学習に費やす時間は多めだが、その学習行為を含めて日々やることが簡単で、感情的なフラストレーションも少ないからだ。日々数字は増えていることに甲斐を感じるし、減っていても平均回帰の原則とそのような時に行うことを知っているので、迷わない、「自分はこれでいいのだろうか」というフラストレーションがない。下落相場で狼狽売りしたり、怖くなって買えなかったり、焦りからリスク許容度を無視した金額を買い付けたり、といった御法度を行わず、淡々とやるべきことをやっている自分を誇らしいとも感じる。自尊心が満たされるのだ。そして、その行為が自分にとって良い結果を生むとも信じることができている。

私は投資に向いていると思える。

投資なんて簡単だ。そもそもやること(できること)が限られているのに、どうしたら難しくやれるのか。

そう思える私は、きっと投資と上手に付き合えているのだろう。

是非とも、この感覚を馬分野でも共有するべきだと思う。

物事は簡単であればあるほど良い。